やっと落ちついてきたから、こっちにも何か書こう。
いろんなものが終わった。
インディアンの首長の言葉を思い出す。
人生は四季だって。
芽生え、育ち、熟し、死に、次の芽生えの糧になるって。
だから大丈夫。
寂しいけど、悲しくない。
それに僕は、沢山のものを受け取った。
本当に大事なものを受け取った。
引き継いだと思わせてほしい。
だから僕は進まなきゃいけないと思える。
進みたいと思える。
そしてそれがあれば、僕は進むことができる。
全ての出来事は道の途中なんだ、と、思って進む。
止まったら死ぬ。進むしかないんだ。
はじまりが終わっただけだ。
序章が終わって、第一章が始まった。
余談。
…しかし冬を死と捉えるのは、寂しすぎるなぁ。
そう言うようなことを言って、
返ってきた答えは、
「冬は温め合う」
それでいい。それがいい。
大学4回生後編から。
今までほとんど誰にも言わなかった、兄の話をしよう。
私とは8歳離れている。
(自分より年上でも、兄より年下の男性だと、
すぐにタメ口きいてしまう悪い癖がいまだにある。)
僕が物心ついた時からずっと、兄は不登校だった。
自律神経失調症と鬱を併発していた。
両親は僕より兄の面倒をみるので必死だった。
幼いころのアルバムに、僕の写真は兄の写真の半分もない。
全てにおいて優先される、そんな兄を疎ましく思った時期も、少なからずあった。
兄は。
高校は通信制で、オール5だった。
優秀な不登校だった。
頭が良かった。
頭がよすぎた。
全てを見とおしていた。
先が見えてしまっていた。
一緒に観ようという意思があるわけでもなく、
自然に同じTV番組を見るのが習慣だった日曜の朝。
その日もいつもと変わらない天気の良い朝だった。
両親は毎週日曜は教会へ行ってしまうので、もういなかった。
僕は友達と映画に行く約束をしていたので、
毎週見ていたその番組を兄と見て、二言三言喋って、出かけた。
僕より先に両親が帰ったら。
兄が二段ベッドの柵からぶら下がっていたそうだ。
最後に話をしたのは僕だった。
今でもたまに思うことがある。
何か気付いてやれなかったのか、何かしてやれなかったのかって。
兄が生きていたら、31歳。何をしていただろう。
なんとなく僕は、何があっても28歳までは生きなきゃいけない気がしてる。
まだ3年経っていないから、何かをきっかけにして、
酷い力を以ってその日に引っ張られることがある。
そんなときは完全にブレーカーを落として、
感情活動を最低限に抑えないと、帰って来られない。
それに大体、まだ20時間弱かかる。
周りはさぞ面倒なことと思う。申し訳ない。
と同時に、
「遺された人間って、こうなるんだぜ。
だから簡単に死ぬとか言うな。死のうとするな。」
って言いたい。
バタバタとした一カ月を終えて、バイト先の内定者と付き合いだす。
行動力があって、カシコイ人。難関中学入試の国語講師だった。
僕は就職しなかった。シュウカツ自体しなかった。
当時、組織人事コンサルでのバイト3年目だった。
色んな会社を見たり色んな社会人の話を聴いていると、
今の世の中じゃ中途半端な正社員より、
フリーターの方が幸せじゃないかという結論に至った。
そして私はそのままレギュラーのアシスタントスタッフになった。
フリーター1年目。
18時までコンサルでアシ。
それから彼氏不在の彼氏宅で家事。ご飯作って帰る。
今だったら絶対無理だ。
そんな生活が1年近く続いたある日。
ふとカフェに帰りたくなった。
実は大学1年の頃、カフェでバイトしていた。
それがカフェとの出会いだった。
ホールで採用されて、ずっとホールだったけれど、
キッチンを見るのが好きだった。
家で、好きなメニューを再現して食べるのが好きだった。
その憧れを捨てることが出来ていなかった。
私はカフェに帰った。
フリーター2年目。
そのカフェは最低の店だった。
細かいことは省くけれど、とにかく最低だった。
だからこそ、「自分の店を持ちたい」と思うようになった。
本気で。
その冬、彼氏にフラれた。
彼氏が退職届を出すと同時にフラれた。
あー、用が無くなりました、って、ことですか、と。
本当にカシコイ人だったんだ。不信は加速した。
そして、自分が馬鹿な女であること、彼氏を持つことが本当に嫌になった。
そしてなんとなく、Twitterを始めた。
始めて2ヶ月は、よくわからなくて放置してしまった。
その後面白さに気づき、ハマっていく。
この後からは、古いフォロワー且つよく絡んでいる人ならご存じの流れ。
最低な店の最低具合に嫌気がさして、退店。
(もちろん次の行き先は決めてから。)
次の店(今の店)での勤務が始まる前に、4日間くらい旅しようと思い立った。
「なんとなく船に乗りたい」「行ったことない県に行きたい」という理由だけで、
とりあえず四国へ行くことにした。
「フォロワーに徳島のケーキ屋さんいたなー、
1人でカフェもやっとうらしいし、参考に見てみたいなー」
と、軽い気持ちで行ったんだけど、今思えばなんという強行オフ。
しかし、この訪問が、現在の徳島クラスタとの関わりの原点となり、現在に至る。
現在、フリーター3年目。
2015年のカフェ開業目指して、日々修行中。
これが、僕の4半世紀。
名を訊ねる時は、名を名乗ってからという。
僕が無駄にUst打つのも、こんなこと書くのも、
きっと他人に興味が出てきたからだと思う。
24年かけて蓄積してきた「人嫌い」が和らいできたからだと思う。
その証拠に、僕は自分のTLを心から愛している。
フォロワーには僕の事をもっと知ってもらいたい。
でも流石に、このpostは僕にとって、結構冒険。ちょっと、怖い。
いずれにせよ…。
最後まで読んでくれた方に、大きなありがとうを。
1986年3月4日、大阪に生まれる。3150g、51cm。
当時、母39歳、父37歳。兄8歳。
祖父ちゃんは二人ともいなかった。
祖母ちゃんは二人とも健在だった。
そんな普通の家庭ですくすくと育つ。
小学校入学。
小学生の私は勉強が出来るやんちゃくれだった。
よく男子と殴り合いのケンカしてた。
テストは100点じゃないとショックだった。
2,3人のクラスメイト以外は全員馬鹿だと思ってた。
中学入試。
5年生の時、進学塾に通いだす。
自分が井の中の蛙であったと知る。
よくサボった。
中学入学。
私立の女子校に無事合格。
そんなに賢くない学校なので、塾なんて行かずとも、
名前が書ければ受かってたと今は思う。
中学に良い先生は少なかった。
この頃から日本語と洋楽に興味を持つ。王道発達過程。
京極夏彦、椎名林檎、RadioHeadと出会ったのが中3。
おそらく僕の文化的土台はこの辺で形成されている。
そういうことは覚えているのだけれど、
小中学生時代の記憶はほとんどない。
日常生活はともかくとして、イベントすらも。
友達と何処へ行ったとか、修学旅行で何を見たかとか…。
ほとんど何も覚えていない。
多分、興味がなかったからだと思う。
エスカレータで高校進学。進学コースへ。
この頃には初の彼氏が出来ていた。
同じ年の文学少年。今思えば女々しいポエマーだったなと思う。
2年の頃に本格的に受験勉強を始めて、塾の日本史講師(大学生)と付き合いだす。
修学旅行委員で引率等を担当。人を動かす事の楽しさを知る。
3年の文化祭で、クラスの実行委員を担当。
ワッフルアイスで全店舗中一位の売り上げを記録し、
経営の楽しさ、ものを作って売ることの楽しさを知る。
3年体育祭の仮装ダンスでは衣装担当、型紙作ったり布仕入れたり。
とにかく「家庭科が得意なお祭り好き」だった。
なんやかやで、無事、第一志望の私大に合格。京都だったけれど、1人暮らしはできず。
大学1回生。
彼氏と一緒に始めたFF11(ネトゲ)にハマり、1回生前期をつぶす。
束縛がキツくなってきたのでその人とは夏の終わり頃に終了。
12月頃から同じクラスの「純朴なメタラーのギタリスト」と付き合いだす。
この頃が一番幸せだったかもしれない。
大学2回生。
スペイン語の授業でmsk(仮称・♀)に出会う。
この子に出会っていなければ、大学生活は全く違ったものになっていただろう。
人の輪が広がって、自分一人では見なかったであろう色んな世界を垣間見た。
同じころ、mdr(仮称・♀)とも出会う。
この二人とは今も年に数回会って飲んだりしている。
2月頃、ギタリストと別れ、なんちゃってメンヘラボーダー男の介護生活が始まる。
僕の恋愛男性不信はここからバッチリ芽生えたと断言できる。
大学3回生。
なんちゃっての介護生活。身も心もボロボロで、今より8キロくらい痩せてた。
ホンモノメンヘラとニセモノメンヘラの区別がつくようになった。
こいつはニセモノだった。ただの構ってちゃんの嘘つきだった。
やっとの思いで別れたころには、もう私は本質的に人を信じることができなくなっていた。
2月頃、mdr繋がりで、同大学の先輩でミュージシャンの中田雅史に出会う。
「マーノ(私のこと)はアンパンマンなんだよ。でもジャムおじさんがいないんだ。」
大学4回生。
同大学同学年他キャンパスの子と付き合うも、
不信が拭い切れずすぐ別れてしまう。
後遺症の深さを実感した一件だった。
そんな感じで、お気づきかもしれないが、
高校以降の僕の生活は、彼氏中心だった。
【後編へ】
君が両親を説得してくれたから、僕は今こんな生き方をしてる。
そして君が死んでしまって、少し自由になれた。
あの人と付き合って、たくさんのことを学んだ。
あの酷い店に入って、目標が芽生えた。
あの人と別れて、さらに自由になった。
あの酷い店を辞めて、小さな旅に出た。
小さな旅に出て、だいじなものをたくさん見つけた。
だいじなものをたくさん見つけて、目標へ向かう決意が固くなった。
ここ数年でいろんなことがあった、というか、
いろんなものやひとをうしなったけれど、全てが目標への加速につながっている。
過去に無駄なし。
ここ数カ月で、私の中にある色々な要素の在り方が変わった。
歳をとったというか、受容力がまたついたというか。
私だけを見て!
私の話を聴いて!
私に関心を持って!
私だけを愛して!
っていう渇望がなくなったな。
どこかへ注ぎ込むこともしない。
ある意味ものすごくドライ。
でも確かにそこに愛はある。
すごく小さな粒になって降り積もっているだけで。
キミの、その、ちょっと余ってるキモチ、
やり場に困ってるなら、ここへ持っておいでよ、くらいの感じ。
他にやり場が見つかったら、そこへ持っていけばいいよ、
引き留めないから、くらいの感じ。
本質的に、いくら友達が増えても、家族みたいな人が増えても、独りは独りだからさ。
仮住まい。逃げ場。一時的に帰る所。
だからこそ、みんなを受け入れることができると思うの。
そうでないと、みんなを受け入れることができないと思うの。
みんなの逃げ場、
みんなの帰る場所を創るって、
そういうことだと思うの。
孤独を知らないと、孤独な人を受け入れることは出来ないと思うの。
みんな、私のところへきて、また去っていく。
それを、”愛をもって”見届けるのが、私の仕事。
そういう人間は、必要だと思うんだよ。
今のツバサは、そんな感じらしいよ。
ちょこちょこツイートしてたものをまとめたりしておこう。
+++
世界中を敵に回しても、その時だけはあなたの逃げ場になる場所を作ろう。
そこには敵も味方もない、フラットな空間。安全地帯。
あるのは、コーヒーの香りと、美味しいたべものだけ。
+++
先払いハーフセルフで17な。それでも2人要るのか…。
やっぱカウンター4テーブル8の12だなぁ、一人だと。
+++
ツイートからの抜き出しは以上。
いつも音楽があって、ノンジャンルでたくさん本があって。
学生が自分の曲流してくださいって来てくれたりしたら嬉しい。ジャンルによるけど。
みんなに読んでほしい本を置いて帰ったり、読みたい本を持って帰ったり。
学生なんかにアコースティック限定でライブ的なこともさせてあげられたらいいな。
白い壁で、一部プロジェクタで投影できるようになってて、
季節やイベントごとに、エンドレスループのフラッシュアニメみたいなのを流しとくんだ。
その映像製作も、学生とか駆け出しクリエイターに依頼してみたい。
小さいことだけれど、学生やワカモノにあらゆるチャンスと出会いを提供したい。
大学生~30代、そのあたりの人々を繋げたい。
立場も年齢も、そこでは関係なくて、ただの人と人、個と個でしかない。
安全地帯。逃げ場。ココロのセーフティネット。
創る。
2015年Open予定。
欲しい出会いが、そこにある。
大学生時代に出会う人間って、その人にとって、すごく重要だと思う。
私も実際、大学時代の出会いで人生の方向性がなんとなく決まった奴なんで。
そんな学生の懸け橋になりたい。
カネやモノによる援助は、権利を上手く使えば受けることができる。
じゃあ、ココロの援助は?
オカネがあっても、モノに溢れていても、自殺が止まらない国、日本。
それって、ココロが飢えてるってことじゃないのかな。
そんな悲しい涙を減らすためには、
学校や会社、地域などの既存の枠を超えた人間関係の構築が不可欠だと思う。
程よい距離感、お互いが心地いいように付きあえる関係を。
そんなコミュニティの基地を創る。
あなたの「帰る場所」を、私は創る。
今日はここまで。